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カルト化雑考 同調圧力2 傍観者が同調圧力を強める [カルト化・マインドコントロール]

傍観者(ぼうかんしゃ)

 集団には少なからず傍観者がいる。傍観者は何もしない。手も口も出さず、ただ見ているだけである。あるいは見て見ぬ振りをしているだけである。どちらかに加担するわけでもなく、どちらかを非難するわけでもない。内心ではどう思っているかは別としても、外面では中立的であるように思われる。一見、傍観者の存在は当事者間になんの影響も与えないように思われる。しかし実際はそうではない。支配従属関係にある当事者に対して、傍観者の存在はその支配従属関係を強化する方向に働く。傍観者は黙認しているわけではないとしても黙認しているように映ってしまう。


傍観者の存在が支配従属関係を強化する

『ヒトはなぜヒトをいじめるのか』(正高信男)によれば、傍観者の存在がいじめを生むという。
「相手を攻撃することが、自分の思い通りにさせるためではなくなって、第三者に自分はこんなに強いんだとか、自分が攻撃したのはこういう理由があるから当然なのだと正当性をアピールする状況になったときから、次のステージに入る。これが、第二段階となるヒト固有の「いじめ」である。・・・いじめが定着してパターン化するのは、その現場を見せ付けたい傍観者がいるからなのだ。傍観者は加担もしないが、仲裁に入るわけでもなく、状況を黙認している。むしろ面白がるケースもありうる。・・・問題を解決するキーワードは傍観者だといえる。」(正高信男『ヒトはなぜヒトをいじめるのか』52~53ページ)。
 ここにあるとおり、傍観者の存在は、支配者の行為を正当化させる効果があり、一方従属者に対しては味方がいないという諦めを生じさせる効果がある。それは傍観者が意図していることではない。傍観者はただ関わりを避けているだけである。しかしその傍観者の存在が、このような支配従属関係を強化してしまうのである。そして傍観者が多ければ多いほど、この支配従属効果はますます強化されていく。

 同調圧力が働く場では傍観者の存在が必須である。傍観者の存在が多ければ多いほど同調圧力は強まる。カルト化集団においても同様である。傍観者は何もしない。しかしまさに何もしない傍観者の存在が、集団内における支配従属関係を強化するのである。

 このように傍観者にも責任の一端がある。もちろん傍観者はいじめやカルト化の主因ではない。主因は支配従属構造の支配する側にある。だから傍観者の責任を述べたからと言って、支配者を免責するものではない。このことは念を押して述べる。ただ、『ヒトはなぜヒトをいじめるのか』にもあるように、集団心理で生じている事柄に対して、当事者だけに焦点を当てても問題の真相は見えてこない。傍観者の存在が同調圧力を強化するならば、そこにもメスを入れなければならないのである。



傍観者を作る心理

 では、なぜ傍観者は生まれるのだろうか。傍観者の心理を知る上でよく取り上げられる有名な事件がある。キティ・ジェノヴィーズ Kitty Genovese 事件である。(「集団の無責任:「傍観者効果」研究を生んだ殺人事件」にも詳しい)これは1964年にアメリカの大都市ニューヨークの深夜、自宅前でキティ・ジェノヴィーズという若い女性が暴漢に襲われて殺された事件である。2週間後にタイムズ紙は、「彼女の叫び声で付近の住民38人が事件に気づき目撃していたにもかかわらず、誰一人助けに入らず警察にも通報しなかった」と報道した。マスコミやコメンテーターは、これを「都会人の冷淡さ」として解説した。「そこにいた人たちが冷淡な人だったから傍観者になった」と考えた。しかし社会心理学者のラタネ Latane とダーリー Darley は「多くの人がいたにもかかわらず、誰も助けなかった」のではなく、「多くの人がいたから、誰も助けなかったのではないか」と考え、実験によってこの仮説を証明した。路上で心臓発作を起こしている人を、もし目撃者が1人だと助けられる率は80%、しかし目撃者が複数いるとその率は30%にまで落ちた。これを「傍観者効果」と言う。「傍観者効果」とは、ある事件を目撃しても、自分以外の傍観者がいる時に救助を回避する心理である。傍観者が多いほど、傍観者効果は高くなる。
 人は困っている人を目撃すると、助けたいという思いと、面倒なことに巻き込まれたくないという思いが錯綜する。特に大きな事件ほどその葛藤は大きい。自分しかいなければ助けざるを得ない。しかし他者がいれば、自分は助けなくてすむ。このようなことは誰もが考えることである。保身と言えば保身だが、人間の心理である。傍観者効果を生む心理は以下の3つと考えられる。

・多元的無知・・・他者が積極的に行動しないことによって、事態は緊急性を要しないと考えること。
・責任分散・・・他者と同調することで責任や非難が分散されると考えること。
・評価懸念・・・行動を起こした時、その結果に対して周囲からのネガティブな評価を恐れること。

傍観者効果は多くのところで見られる。1991年の東京都内のタクシー乗り場で、騒いでいた少年を注意した男性が殴り殺された。このときも多くの傍観者がいたが誰も助けも警察も呼ばなかった。

傍観者効果と似たものに、
・多数派同調バイアス・・・自分以外に大勢の人がいると、取りあえず周りに合わせようとする心理バイアス(偏り)。
・正常性バイアス・・・異常事態に遭遇したとき「こんなはずはない」これは正常なんだと自分を抑制しようとする心理バイアス(偏り)。

2003年の韓国地下鉄火災事件で200名が死んだが、煙が充満する車内の座席で乗客が平然と座っている写真があり、多数派同調バイアスと正常性バイアスの実例としてあげられる。(詳しくは、ここここを参照)

 傍観者の個々のモラルを責めるだけでは、このような事件は防ぐことができない。集団心理として生じてしまうことであるだけに、システムとしてこれを回避する工夫が必要なのである。


 以上、同調圧力を強化する存在としての傍観者と、その傍観者を生み出す心理について述べてきた。傍観者効果は人間ならば誰にもある心理(おそらく保身)であり、誰でも1度や2度は傍観者になった経験があるであろう。傍観者の存在は集団のカルト化を強化する上で大きな要因である。まさか傍観者がそのような影響を与えているとは思えないからこそ、余計にこの存在が与える意味は大きい。

 カルト化集団にいても、必ずしも常にマインドコントロールされているわけではないし、むしろ普段はいたって普通であることさえある。しかし集団の中でたまに何かおかしな事柄や避けたい事柄(おかしな説教、おかしな運動、いびつな人間関係、陰口、うわさ、個人攻撃、つるし上げ、制裁、いじめなど)があっても、1対1であれば、「それはおかしい」とか「ノー」と言えるのだが、複数の人がいるところでは、なかなか率先して言えないものである。特に傍観者が多いところでは言えずに傍観者になる。傍観者が次の傍観者を生み、傍観者の大量発生となる。事柄の葛藤が大きいほど、また集団が大きいほどそうなる。この心理は既に上で述べたことである。

 今回は同調圧力の中で盲点となりやすい傍観者に焦点を当ててみたが、次はいよいよ同調圧力における支配従属関係について述べてみたい。

続く
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