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小牧者訓練会のパワハラ3 [ハラスメント]

(3)継続性(頻繁さ)
陰湿な嫌がらせを再三受けて(「事案の概要」より)
小牧者訓練会のパワハラが頻繁に行われていることが被害者側から訴えられています。同様の継続性(頻繁さ)は、たとえばハレルヤコミュニティーチャーチ浜松教会の榊山清志牧師によるセクハラ・暴力事件に対する静岡地裁浜松支部の判決文(2008年5月19日)においても以下のように認められています。
しつけと称して,こたつの脚,フライパン,ドラムのステイックなどで腎部や足の裏を叩いたり,素手で顔を叩いたりといった暴力を日常的に加えていた。(判決文中の「当裁判所の判断」より。下線は引用者による)
(なお榊山氏に関する判決では暴力・セクハラの事実は認められたものの、時効を理由に損害賠償請求は却下されました。詳しくは判決文をご覧ください。)

パワハラの判断基準に、その行為の継続性(頻繁さ)があげられます。以下、涌井美和子『職場のいじめとパワハラ防止のヒント』より該当部分を引用します。
パワー・ハラスメント判断基準;その2 時間的経過について  行為の発生過程と頻度;身体的暴力など,たった1回でもパワー・ハラスメントに該当する可能性があるものもあるが,多くは,何度か繰り返されるうちにパワー・ハラスメントになる可能性が高くなる。とくに,単発的に繰り返されるのではなく,だんだん強迫的あるいは執拗に繰り返されるようになっていたり,行為者が支配的になっていったり,苛立ちがみられるようになるなど,時間の経過とともに,質や内容が変わっているのであれば,パワー・ハラスメントに該当する可能性が高くなる。(「第1章 パワー・ハラスメントとはどのような行為か」26ページより)
(なお本書では、パワハラの判断基準が4つ示されております。本書はパワハラを理解する上で有用です。いずれ機会があれば本ブログでも取り上げたいと思います。)

涌井氏が示した判断基準の説明から次の2つのことが言えます。いずれもパワハラというものの性質からきております。

1つはパワハラというものが必ずしも直接的な身体的暴力によらないということです(そもそもパワハラという概念は、暴力では捉えきれない被害を概念化する必要から生まれました)。直接の身体的暴力があれば傷害事件となりますが、そうでない場合は程度問題とされ、第三者から見てもその判断が非常に難しくなります。したがって明らかに悪質なものを除けば、1度の言動だけをもってしてパワハラと判断することは非常に難しくなります。しかし繰り返しなされるなら、それはパワハラと認定される可能性が高いということです。

2つめは、そもそもなぜパワハラは繰り返し行われるかという点です。加害者の心理は様々であり、加害者の自覚の程度もまちまちですが、加害者は被害者を自分に服従させたいという動機が根底にあることはだいたい共通しております。加害者はより支配を強める方向に行為をエスカレートしていきます。やがて被害者を自分の意のままに支配することに限界を感じたり被害者が防衛的になると、加害者は被害者を破壊と抹殺(いわゆる排斥)するようになります(涌井、18ページ)。このように、パワハラとはよりエスカレートし、内容も変化することが多いものです。ただし必ずしもすべてが時系列に沿って深刻化するとは限りませんので個々の事例について判断する場合は注意が必要です。要は、パワハラとは、その性質上、一度限りで終わることではなく、頻繁に繰り返されるものである、ということです。
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