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マインドコントロール下に置かれている者の感情を想像すること、など  [カルト化・マインドコントロール]

「マインドコントロール」とは「明らかに違反(教義違反、不道徳行為、不法行為、反社会的行為、あるいは信念や良心に反することなど)であると知りつつ、組織の指導者の言説を、あたかも自分の意志であるかのように判断し行動すること」である。

幾つかの組織で発生した事件やハラスメントの、そのすべてがマインドコントロール下にあったと言うつもりは毛頭ないけれども、ただ、その中の幾つかはマインドコントロール下にあったと推測される。被害者たちも自分は指導者のマインドコントロール下にあったと証言している。性被害者についても、内心ではこれはいけないことだと知りつつも、一方では指導者の命令に逆らうことの方を恐れたために、指導者の性犯罪に対して抗拒不能であった。これが準○○罪の抗拒不能の意味するところであろう。

マインドコントロールについて理解に乏しい人々は、マインドコントロール下にある者の感情(特に恐怖心)を想像できないために。「いけないと分かっているなら、なぜ最後まで抵抗しないのか」とか「被害者にも非があるのではないか」と思うだろう。確かに、マインドコントロールを経験したことのない人にとって、マインドコントロール下にある者の感情は分からないだろう。しかし経験がなくても思索することはできる。思索によって人間は、かなり想像できるものである。要は、理解しようとするかしないかの問題である。

密室で何が起こっているか?外にいる人間には全く分からない。そして一般的には、被害を訴える者の声を聞いても、そんなことはありえないと決め付けやすい。特に「バランスの取れた(と自負している)」人間はそういう判断をしがちである。もちろん、被害の訴えの全てが必ずしも真実であるとは限らない。そこには虚偽や誤解、針小棒大なこともあるだろう。しかし、もし被害者の感情があるならば、やはり密室で何かがあったのである。密室で何かがあったということは想像できるはずである。被害者から相談を受けた人は、それぐらいのことはしていただきたい、と私は願う。しかし、それはたぶん絶望的な願いであるけれども。

これは私の印象でしかないのだが、カルトやハラスメント被害者の相談に乗っている人は、ややアンバランスな人である。相談を受けると「やはり」と思うのは、このアンバランスな人間である。逆に、「バランスの取れた(と自負している)」人は、そのような相談に乗れる人はほとんどいない。相談されても「まさか」と思ってしまい、心にブレーキがかかってしまうのだろう。それは致し方ないのかもしれない。しかし、そのために問題がある。アンバランスな人は相談相手としてはふさわしいが、解決方法がやや極端に振れる印象がある。そのために解決が解決になっていないかもしれない。やはり相談から解決に向かっては、バランスの取れた人間の方が好ましいと私は思っている。

相談相手には、密室で何が起こっているかを想像できる人、あるいは被害者の感情に寄り添える人。
解決者には、冷静にバランスよく良識的に対処できる人。
この両者の協力が必要である、と私は思う。
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