SSブログ

小牧者訓練会・卞在昌に検察懲役7年求刑 [ハラスメント]

毎日新聞 2011年3月5日 地方版より
つくば市に拠点を置くキリスト教系宗教法人「小牧者(しょうぼくしゃ)訓練会」の信者だった20代女性に性的暴行をしたとして、準強姦(ごうかん)罪に問われた韓国籍の同会牧師、卞在昌(ビョンジェチャン)被告(62)=土浦市=の論告求刑公判が4日、地裁土浦支部(神田大助裁判長)であり、検察側は「自分の性欲を満たすために被害者の純粋な信仰心を利用した卑劣極まりない犯行」と懲役7年を求刑した。判決は5月20日に言い渡される。これに対し弁護側は「犯行がなかったことには、一点の曇りもない」と無罪を主張した。最終意見陳述で卞被告も「わいせつ行為は一切行っていない」と述べた。起訴状によると卞被告は07年2月、つくば市の教会の寝室で女性に性的暴行を加えたとしている。これまでの公判で女性は、同2月17日、同会施設内の牧師室で卞被告から「必要なのは信頼関係で、夫婦のような関係だ」と言われ「拒めば神様に見放される」という恐怖心から、精神的に抵抗できない状態で性的暴行を受けたと証言した。これに対し弁護側は「卞被告は2月17日に韓国の宣教師を接待していたので、寝室で女性と一緒にいたことはありえない」と主張、この宣教師が撮影した写真や証言をもとに、卞被告には「アリバイがある」とした。これに対し検察側は写真にある日時などのデータには、改ざんの可能性があるとしている。【橋口正】

なお、準強姦罪とは、暴行・脅迫によらず、女性の心神喪失・抗拒不能に乗じ、又は女性を心神喪失・抗拒不能にさせて姦淫すること(刑法178条2項)。強姦が力ずくによる姦淫であり、準強姦は抵抗できない状態の女性を強姦することである。「準」の文字がつくからといって、準強姦罪が強姦罪より軽いという意味ではまったくない。準強姦罪の量刑の適用範囲等は強姦罪と同じである。なお強姦罪と強制猥褻罪の違いは各自参照のこと。

ところで、刑事訴訟においては、たとえ被告がクロであっても、有罪が立証されなければ無罪とされる。したがって、もし万一、5/20に無罪判決が出たとしても、被告が無実であることを必ずしも意味するわけではない、ということは押さえておくべきである。

(3/6追記。民事裁判では被告が有罪であっても、検察が不起訴処分にしたり、あるいは起訴しても刑事裁判で無罪になることがある。これは刑事裁判と民事裁判の違いによる。たとえば1993年の藤沢放火殺人事件。当初検察は嫌疑不十分で不起訴処分とした。しかし被害者遺族が民事訴訟を起こし、民事裁判で殺人認定を得た。そこから逆に刑事訴訟が起こった。だが1審では立証できず無罪判決。そして上告し2審で有罪となった。このように刑事と民事では判決が異なることがある。刑事と民事の違いを単純に説明すれば、刑事裁判では「疑わしきは被告の利益」で、一方民事裁判は、原告と被告の証拠の優劣によって決まる、ということ。したがって、誤解を恐れず言うならば、刑事裁判はクロでも無罪になることがあるが、民事裁判ではクロならば有罪となる。上述の、「刑事裁判では被告がクロでも立証できなければ無罪とされる。」とはそういうことである。「刑事裁判で無罪となったからといって無実というわけではない」と言ったのはそういう意味である。)

(3/7追記。電車痴漢の話があったので、ここで電車痴漢と本件の違いについて説明を加えておく。まず電車痴漢の冤罪は、人違いか、あるいは、接触の思い込みによる。人違いとは、電車内には不特定多数の乗客が存在するために、たまたま近くにいた無実の人を行為者として誤ってしまうことである。接触の思い込みとは、混雑した車内において偶発的な身体接触を痴漢と思い込むことである。一方、本件の場合。被告以外の被疑者は存在しないので人違いはない。また本件は軽犯罪でも準強制わいせつ罪でもなく、準強姦罪である。強姦は意図的であり、偶発的な強姦はない。このように本件は電車痴漢とは大きく異なる。したがって、もし仮に本件が冤罪だとすれば、被害者の訴えが虚偽であるという以外にありえない。被害者の訴えが虚偽かどうかについて私の立場から述べることはできないけれども、少なくとも複数の女性被害者が存在するということから訴えが虚偽の蓋然性は低いと言える。)
コメント(2) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。