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ウェイヴ [映画・動画]

2008年ドイツ映画
日本公開2009年
監督・脚本: デニス・ガンゼル
原題:Die Welle、英語題:The Wave
ストーリー:自由な雰囲気で生徒に慕われるベンガー(ユルゲン・フォーゲル)は、校長の要請で独裁制の授業を担当することに。あまりやる気のない生徒に、「発言するときは挙手して立つ」など独裁制の実験を取り入れようと提案。しかし、ベンガーの予想を超え、独裁制に魅了された生徒たちは、学校外でも過激な活動をするようになり……。(シネマトゥデイより)

ラストシーンには驚かされた。最初の10分間は冗長に感じられたが、全体としてはテンポよく進んでいったと思う。映画の舞台はドイツの高校だが、この映画の元になった事件はアメリカの高校で起こったことである。1967年にカリフォルニア州パロ・アルト市の公立高校(Ellwood Patterson Cubberley High School、エルウッド・パターソン・カバリー高校)で歴史教師Ron Jonesロン・ジョーンズは高校生相手にドイツのナチによるファシズムについに教えていた。高校生たちは、こんな自由な時代にナチズムは起こらないし、また自分たちだったらナチのような独裁制(全体主義)には絶対反対すると言った。果たして独裁制(全体主義)は、特殊な人々による特殊な事件なのか。ロン・ジョーンズはそれを確かめるべく社会心理実験を行った。その結果、そのクラスは容易に独裁制に陥ってしまった。その影響が学校全体、そして他校にまで及んだとき、事態の深刻さと危険性を考え、ロン・ジョーンズはこの実験「ウェイブ」を解散した。独裁制は自分たちにでも起こることをカリフォルニアの高校生達は自らの体験として理解したのである(The Third Wave参照)。

実話を基にした小説として、モートン・ルー著『ザ・ウェーブ』(新樹社、小柴一訳)がある。

映画と実話を絡めた記事として以下のものがあった。参考までに。
マインドコントロールの恐怖I~その戦慄のメカニズム~

映画の中で、教師のベンガーが、独裁制のリーダーとしての立場に、いつの間にか酔ってしまっているという描写がある。組織内の支配・従属関係におけるマインドコントロールは従属側のみならず支配側にも起こる。教師ベンガーは最後までフランクで自由な人間である。最も独裁的でない人物として描かれている。にもかかわらず「リーダーとしてかしずかれることを楽しんでいる」(ベンガーの恋人教師からの指摘)のであり、それがために、「ウェイブ」の解散を遅らせてしまったのである。

マズローの欲求段階説もあるように、人間には所属欲求というものがある。ティムという登場人物がいる。ティムは家庭環境が複雑な上にいじめにもあった。ティムは現実世界に居場所を失っていた。所属欲求の不満のために、彼は「リーダーに従いたい」という思いを増加させた。他にも、移民の子、成績の悪い生徒などにもその傾向があった。

所属欲求の変形として従属欲求もあろう。人間には人を支配したいという支配欲求と、人に支配されたいという従属欲求がある。両者は同一の人間の中に同居し、また時と場合によって両者のバランスは変動する。支配欲求と従属欲求は対立的なものではなく、一体のものである。

自信を失った人々は、どのようにして自信を回復するか。大別して2つある。「私(たち)は偉大なことを成し遂げることが出来る」と思うか、「私(たち)は偉大なものに帰属している」と思うかである。そもそも人間には「偉大なものに帰属したい」という帰属欲求と「偉大なことを成し遂げたい」という達成欲求がある。社会学者の宮台真司は、先の大戦で敗れた日独伊の枢軸国側の特徴として帰属欲求があることを挙げている。枢軸国側は、連合国側の英米仏のような自力の市民革命によらず、「追いつき追い越せ」で急速な近代化を遂げた。急速な近代化のために共同体や自然が失われて疎外感を抱く者が量産され、寂しさを着地させる場所として、自らが一体化すべき国家=崇高なる共同体が見出される、と述べる(『天皇ごっこ』の解説)。達成感ではなく、「自分は偉大なものに属している」という帰属感を膨らませた。前者が英米仏で後者が日独伊と宮台真司は述べる。その分析はおおよそ合っていると思う。ただしカリフォルニア州のカバリー高校の事件のように、アメリカの高校生も帰属欲求が強いということを考えると、アメリカ人だからどうだとか、ドイツ人だからこうだ、ということはない。「自分も出来ると思いたい」という達成欲求と「自分は偉大なものに属していると思いたい」という帰属欲求は同一の人間の中に同居している。

しかし達成感を心底味わえる人間というのは実際には限られている。そのためには努力もしなければならず時間もかかる。そして時には偶発的な要因もある。小さなことでは達成感は味わえないだろう。その人の欲求の度合いにもよるのだろうが、「自分も出来ると思いたい」という達成欲求を満たす人は全体で言えばそう多くはない。そして大多数の人間は達成欲求を満たすことを諦めて、その代わりに帰属欲求を満たすほうを選ぶだろう。なぜならその方が安易だからだ。それに対する処方箋としては、それこそキリストの福音なわけだが、それはまたいずれ書こうと思う。

ぐだぐだ書いてしまったが、要するに人は容易に全体主義に陥ってしまうという話である。
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実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 [映画・動画]

2007年 日本映画
監督・製作:若松孝二
脚本:掛川正幸/出口出
音楽:ジム・オルーク
ストーリー:ベトナム戦争、パリの5月革命、中国文化大革命など、世界中が大きなうねりの中にいた1960年代。日本でも学生運動が熱を帯び、連合赤軍が結成された。革命戦士を志した坂口弘(ARATA)や永田洋子(並木愛枝)ら若者たちは、山岳ベースを設置し訓練をはじめる。厳しい訓練に追い詰められ、メンバーによる仲間同士の粛正が壮絶を極めていく。(シネマトゥデイより)


私の趣味と言えばTSUTAYAで100円で旧作DVDを借りて観ることである。旧作だから話題作でも観るのがだいぶ時間が経ってからである。いや別にTSUTAYAである必然性もないのだが近所で安く借りられるのがTSUTAYAだからという理由がその1。ついでに新書や雑誌をブラウズすることもできるというのが理由その2。学生時代にセブンイレブンに立ち寄ることが決め事だったように、定期的にTSUTAYAに行くことが今の自分の定例行事となっている。だからもしお前の趣味は何だと聞かれたら、映画鑑賞と答えずにDVDブラウズと答えることにしている。ところが実を言えばこのところ珍しく多忙感があり、ずっとDVDを借りて観ることがなかった。多忙感というのは便利な言葉だ。他人から見て客観的に多忙であるか否かは問題ではない。もとより多忙の客観的基準など存在しないのであるが。

それはともかくとして、最近ようやく「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を借りて観ることができた。内容は大学紛争事件、山岳ベース事件、あさま山荘事件の3部構成のドキュメンタリータッチの映画である。3時間10分という長時間の上に最初の三分の一が登場人物たちの軌跡を紹介するというスタイルがやや眠気を誘いたびたび巻き戻しては観ていた。しかし山岳ベース事件からは眠気も消え、画面に釘付けとなった。総括。森恒夫と永田洋子が組織内における権力欲・支配欲そして構成メンバーによる同調圧力、傍観的態度が組織内の支配従属関係を強化する。「お前のためだ」「頑張って総括してよ」偽善的な利他的発言により目前でいじめが起こっていることを自他共に受容することができない。両眼で見ているのに見えていない。誰もノーと言えないチキンレースである。後に浅間山荘において最年少メンバーの加藤元久が「勇気がなかったんだよ!」と叫ぶ。もちろんこれは脚色であるが、つまりそういうことである。そしてとうとう虐殺死に至る。志を同じくし理想に燃える同士であるにもかかわらず悲惨なリンチに至ったのは、志も形態もことなるけれどもカルト化やパワハラと相通じるところがあると言えよう。なお山岳ベース事件についてはwiki-山岳ベース事件を参照のこと。

水草師もブログで述べているように、権力の否定は平和ではない。権力の否定は別の歪んだ権力を生むだけである。フランス革命しかり、共産主義革命しかり、連合赤軍しかりである。政治闘争の現象ではなく、おそらくすべての組織集団において存在する可能性がある。特に凝集性の高い組織、また強い理念・信条・目標設定を掲げている集団において発生しやすい。その際、既存の権力が否定される。それに取って代わるような言説が集団内において語られる。やがて醜悪な権力構造が形成される。権力を否定するだけでは権力主義は防げない。しばしばキリスト者の中で「ナイーブな」平等が語られている印象がある。しかしナイーブな平等論や権力否定は、別の、より醜悪な、権力主義を発生する温床である。

山岳ベース事件(リンチ殺人事件)の首謀者である森恒夫も永田洋子も必ずしも権力欲の強い人間ではない。森恒夫は一度は逃亡した人間であり、映画の中でも決してふてぶてしい腹黒強欲野心家のようではまるでなく、どこか臆病と陰をもっており、そしてその内心を悟られまいとして、結果的にリンチに走っていった。むろん森恒夫一人では何もできるはずがなく、それよりも組織という集団圧力が森自身の言動をも拘束していったのである。永田洋子に関しては、どちらかと言えば映画の中では女の嫉妬のために仲間をリンチのターゲットにしていったという描かれ方であった。

この映画の中で唯一の欠点と言えば、永田の心理描写が画一的というか最後まで徹底的に表面的であることにこだわったということであろうか。若松孝二監督があさま山荘事件だけではなく、その道程として山岳ベース事件にかなり突っ込んだ編集をしていることからすれば、また加藤少年に「勇気がなかったんだよ」と言わせているところからすれば、やはりこの映画の見せ場はそこにあるだろうし、森恒夫と永田洋子が描かれるはずであろう。そして森恒夫に関しては映画の前半においてある程度そのことには描かれている。それだけに永田洋子がただ「女の嫉妬」だけでリンチをしているかのように描かれているのは残念である。とはいえ、そのことはこの映画の面白さを少しも低減させるものではない。カルト問題やパワハラに関心のある方でまだ見ていない方は是非この映画を観ることをお勧めする。

他人から見てその人の内面がどう映るかというのは、もとより難しいものであって、所詮は外から眺める者の印象でしかないといえばそれまでだが、しかしそれでも見られる者と見る者の文脈によっては内面を知ることができることもある。加藤少年が「勇気がなかったんだよ」と言ったのは(繰り返すがこれは脚色である)、彼があの異常なリンチの中にいたからである。どういうことかと言えば、もし加藤少年が自分にも「総括」要求の恐れが全くないのなら、彼の憎悪は森や永田に向けられたに違いない。しかし彼もまたいつ自分に「総括」要求がされるかという恐れがあった。そしてそれを跳ね除ける勇気がなかった。彼の恐れは森や永田ではなく、彼の同志たちにある。

余談だが、途中で森と永田と坂口弘だけで話し合う場面がある。そこでは3人とも肩の力を抜いて、話し合う。彼らは組織トップであるので、彼らは組織に睨みをきかせこそすれ彼らが構成員からの圧力におびえるということはないだろうと通常は思う。しかし組織トップである彼らこそが、構成員からの圧力におびえているのである。そして3人だけになったとき、いわば「しらふ」に戻ったのである。
加藤少年はもちろんその場面を知らないが、加藤少年が恐怖と憎悪を組織トップの森や永田にではなく構成員全員に向けられていたのはそういうことである。そしてそれはただ加害者であるばかりでなく被害者となっていく者たちに対しても同様である。

加藤少年が坂東國男、吉野雅邦、加藤倫教に向かって「あんたも、あんたも、勇気がなかったんだよ」と言ったのは、そして坂口に向かって「坂口さん、あんたも勇気がなかったんだよ」と言ったのは、彼がその異常な文脈を共有していたがゆえに組織の同志たちの心理状態が見えたのである。
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es エス [映画・動画]

2001年ドイツ映画
日本公開2002年
監督:オリヴァー・ヒルシュビーゲル
原題:Das Experiment、英語題:The Experiment。
原題および英語題は「実験」の意味。
邦題「es エス」はドイツ語で「それ」。

スタンフォード監獄実験(1971年にアメリカのスタンフォード大学で実際に行われた)を元にしている。

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動画 マインドコントロールへの落とし穴シリーズ [映画・動画]

カテゴリとしてマインドコントロールを追加しました。

以前にも紹介しましたが、youtubeにアップされているマインドコントロール関連の動画を紹介します。マインドコントロールとは何かを知るのにちょうどよいです。

マインドコントロールへの落とし穴!① 強制せず、さも自分の意思で
「・・・人間というのは極端な混乱に陥るとパニックを避けるために、自動的に思考を停止してしまう・・・」

マインドコントロールへの落とし穴!② 「慈善行為のアピール」
「強制力を使わずにどれだけ人の判断を左右できるかを実験してみました・・・(人物の印象を操作する実験)」


マインドコントロールへの落とし穴!③ ~強制のない集団圧力~
「(集団圧力がどう作用するかの実験として)7人のうち、6人はサクラ。予め間違った答えをしてもらうように頼んでおく。そのことを1人の実験台の方は知りません・・・」


マインドコントロールへの落とし穴!④ カルト教団
「(マインドコントロールの技術と言っても)なんだ、当たり前じゃんというものばかり・・・」


マインドコントロールへの落とし穴!⑤ ~ 脱会者の体験談 ~
(元エホバの証人による証言)「・・・聖書を学んでいるつもりが、組織の教理を学んでいたんだなって・・・・」


マインドコントロール(Mind Control)への落とし穴!⑥ ~カルト宗教脱会者の告白~手相など
「・・・洗脳は鉄の枠、マインドコントロールはオブラート・・・マインドコントロールは、強制せず、さも自分の意志で選択したかのように、ある結論に導くわけです・・・」


マインドコントロール(Mind Control)への落とし穴!⑦ ~ 対策 ~
「・・・マインドコントロールにかかり易い人は、という問いに答えはありません。あえて答えを出すならば、それは『自分だけは大丈夫』と思っている人です。最も無防備、無警戒になってしまうからです。では実際にどうすれば、対抗できるのでしょうか?・・・」
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youtube マインドコントロールの落とし穴 [映画・動画]

youtubeにマインドコントロール関連の動画が7つアップされていた。
マインドコントロール 落とし穴」で検索すると出てくる。興味深いものである。
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