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パワー・ハラスメントは加害者や被害者の個人的問題か? [ハラスメント]

教会のカルト化の記事においても一部記したが、問題の原因は集団心理として働いている部分が大きく、したがってすべての問題を個人の問題に還元することができない。そのことを職場のハラスメントの参考資料を引用して紹介したい。

教会におけるパワー・ハラスメントを考える上で、職場におけるパワー・ハラスメントの事例と対応が先駆的であるがゆえに参考になる。

以下、労働ジャーナリストで職場のハラスメント研究所所長の金子雅臣氏による『知っていますか?パワー・ハラスメント一問一答』(解放出版社、2004年)より、すこし長いが引用する。

パワー・ハラスメントは加害者や被害者の個人的問題か?について
・・・いじめは決して特別な問題ではないにもかかわらず、何か自分たちとは関係のない特別な事件であることを確認しないと落ち着かないということがあるようです。・・・これでは職場で起きている本当のことが理解できません。  パワー・ハラスメントの典型であるセクハラも当初は・・・加害者の個人的な判断による行為、または上司の個人的性癖とされることで、本当の原因についての理解が遅れてきました。性差別的な意識や職務の権限を背景にして起こる問題であるにもかかわらず、そうした見方は無視され続けてきたのです。  そして、勇気を出して訴えてみても、裁判では長い間、「たまたま、そうした性癖をもった上司からの性的な誘いを受けた」とされてきたのです。実はこうした見方は、いまの日本でも容易に受け入れられ、パワー・ハラスメントを訴えようとする被害者にとって大きな障害となっています。  「やられるほうにもスキがある」「いじめを上手にかわしてこそ一人前の大人」「どこにでも嫌な人や気の合わない人はいる」などとすべて個人的な責任とされるため、多くの被害者が訴えることを断念し「泣き寝入り」してきたのです。  また一方、パワー・ハラスメントの加害者の中には、「そんなつもりはなかった。相手がそんなに傷ついているとは知らなかった」と言う人がいます。「足を踏んでいる人は、踏まれている人の痛みが分からない」といいますが、自分が気づかないうちに相手を傷つけてしまっており、相手の立場を考えることができなくなっているのです。  パワー・ハラスメントは、職場の上下関係や仕事の流れの中で職務と強く関連し、加害者自身それと気づかずに起こしていることも多いのです。  パワー・ハラスメントは、決して個人的な問題ではありません。職務上の立場と大きなかかわりをもって起きる問題であり、被害者の立場からみると、職場での立場や力を利用して人を傷つける差別的な行為であるといえます。

すべての上司がパワーハラスメントをするわけではないが、すべての上司がパワーハラスメントを犯す危険性はある。教会においても同様のことが言えるだろう。
 上記のことは「職場」を「教会」に変えるだけで、そのまま教会におけるパワー・ハラスメント被害に当てはまる。
 パワー・ハラスメントは加害者や被害者の個人的問題とはできないのである。
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